毎日歩く道の途中にお花屋さんがある。
とびきりおしゃれな感じの薄暗い店内。
看板に書かれているおすすめのお花は定期的に書き変わる。
この間はミモザ、少し前は紫陽花だった。
おすすめのお花たちは、看板と共によく見えるところに生けてあり、お花が変わるごとにお店の雰囲気まで変わる。
通る人たちは、花をちらっとみて、また前を向いて歩く。
わたしも買う予定はないのだが、お花に惹かれてたまに外から覗く。
何度見ても花はかわいい。
花を見て、好きな人のことを考えて、買って帰ることは愛ではないだろうか。
花を選ぶ人を見てふとそんなことを思う。
自分のために買う人もいるだろう。
もちろんそれも素敵だ。
花は暮らしに彩りを与えてくれる。
もし家に自分の好きな人がいたら、わたしはお花を買って帰るかもしれない。
買ってきた花を見せたとき、
もし一言、その人がきれいだねと言ってくれたなら、わたしは満足する。
花はその辺に放る。
わたしはみんなと同じように人に愛を与えることができるだろうか。
エーリッヒ・フロムは著書「愛するということ」のなかで「重要なのは自分の愛に対する信念である」といった。
「自分の愛は信頼に値するものであり、他人のなかに愛を生むことができる、と信じることである」と。
自分の愛が人と違うように見えるときがある。
もらった愛情を同じように返せる自信がない。
自分が現状渡すことのできる愛情と、ひとが求める愛情はすこし違うようだ。
わたしの頭の中のエーリッヒ・フロムが
「自分を信頼できない人間が他人なんて愛せるわけないやん」と言っている。
えーーーーーーーーーーーーん。
図書館の本じゃなきゃ燃やしているところだ。
自分に足りていないものがいかに多いかを実感するとき、しばしば自分に絶望する。
今は自分のことでいっぱいいっぱいだが、
いつか他人に花を贈れるようになることを祈る。
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